はじめに
こんにちは。管理人のヒロです。
ワークショップ「日本人の9割が知らない創造論の世界」のQ&Aで出された質問を深掘りしていくシリーズ、第3回です。
ワークショップ全体の内容については、概要記事「ワークショップレポート『日本人の9割が知らない創造論の世界』」をご覧ください。
今回取り上げるのは、こちらの質問です。
「進化論では地球ができてから何億年と言われていますが、創造論の聖書に基づくとまだ6000年ぐらいですよね。そこのギャップを、どういうふうに捉えていらっしゃるんですか?」
何億年と6000年。この差は、あまりにも大きいですよね。ご一緒に考えてみましょう。
私の立場:聖書に書かれてある通り
まず、率直に私の立場をお伝えします。
私は、聖書に書かれてある通り、地球の年齢は約6000年であるという立場です。
これを聞いて、「え、本気で?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。何十億年とされているものが、たったの6000年だと言うのですから、驚かれるのは無理もありません。
しかし、この立場にはしっかりとした理由があります。そして、何億年を受け入れることには、実は非常に大きな問題があるのです。
何億年を受け入れることの問題
アダムの前に「死」はあったのか
みなさんに知っておいていただきたいことがあります。
もし何億年という年代を受け入れてしまうと、どうなるでしょうか。
何億年という歴史の中に、すでに動物や生き物が生きたり死んだりしていたとします。そうすると、アダムが生まれた約6000年前よりも前に、死が存在していたことになります。
これがどういう問題を引き起こすか、おわかりになるでしょうか。
聖書が語る「完全な世界」
聖書が言っていることは、こうです。
神は、完全な世界を造った。罪も、病気も、死もない世界を造った。
しかし、アダムが罪を犯したことによって、この世界に死が入り込んだのです。
私たちが信じているイエス・キリストは、アダムが罪を犯す前の状態に私たちを回復させようとしてくださっています。死を打ち破り、永遠の命を与えてくださるために、十字架にかかってくださったのです。
キリストの贖いとの矛盾
もしアダムより前にすでに死があったとしたら、どうなるでしょうか。
私たちが死んで蘇った先にも、また死が出てくるということになりかねません。なぜなら、神が造った時点ですでに死があったということになるからです。
キリストは何のために死なれたのか。
この問いに答えられなくなってしまいます。何億年という年代を受け入れてしまうと、聖書に矛盾が出てきてしまうのです。
ですから、これは単なる数字の問題ではありません。聖書全体のメッセージ、イエス・キリストの救いの意味そのものに関わる、非常に重要な問題なのです。
「でも、地層はどう説明するの?」
ここまでの話を聞いて、多くの方がこう思われるのではないでしょうか。
「6000年だとして、じゃあ地層はどう説明するんですか? 何十億年かけないと、あんなに分厚い地層にはならないんじゃないですか?」
もっともな疑問です。実際、地層の厚さは約1500メートル、つまり1.5キロほどあります。たった6000年の間に、どうやってあれだけの地層が積み上がったのか。
ここで登場するのが、ノアの洪水です。
ノアの洪水と平行地層
聖書に記されているノアの洪水では、地球全体が水の中に沈みました。
その時、巨大な津波が大陸に押し寄せ、陸地の土砂をかき混ぜたと考えられます。そして、地球全体が海の中に沈んだ後、水の中で何が起こるかというと、重たいものからどんどん先に沈んでいき、軽いものは上に行くのです。
こうして、重さによって分かれた層ができます。
グランドキャニオンが物語るもの
みなさんは、世界の地層がどのような形をしているかご存知でしょうか。
私たちが見ている地層は、完全な平行地層です。特にグランドキャニオンの写真を見ていただくとわかりやすいのですが、まるで段ボールを重ねたような、きれいな平行の層になっています。
ここで考えてみてください。
進化論の考え方では、地層は長い時間をかけて徐々に積もっていったと言います。しかし、徐々に積もっていくのであれば、その間に雨が降り、風が吹き、砂が削られていきますよね。そうしたら、デコボコの地層になるはずです。
でも、私たちが実際に見ているのは、完全な平行地層です。
一旦水の中に沈んで、土砂が重さによって分かれて堆積した。 そう考えれば、あの美しい平行地層の説明がつきます。
ですから、何十億年経たないと地層ができないということにはなりません。むしろ、何十億年かけて徐々に積もっていったのであれば、デコボコな地層ができるはずなのです。平行地層があるということは、短期間に大規模な水の力で一気に形成されたということを示唆しているのではないでしょうか。
世の中の声に調子を合わせない
最後に、もう一つだけお伝えしたいことがあります。
何億年という年代を受け入れようとすることは、結局、進化論で言っていることと調子を合わせてしまうことになるのではないかと、私は危惧しています。
「世界がこう言っているから」「世の中がそう言っているから」と、そこに合わせていくと、聖書の言っていることから外れてしまうのではないでしょうか。
もちろん、私の考えを押し付けるつもりはありません。しかし、この問題については、ぜひみなさんお一人お一人がじっくりと考えてみていただきたいと思います。
今日のまとめ
①何億年という年代を受け入れると、アダム以前に死が存在したことになり、聖書のメッセージやキリストの贖いとの間に矛盾が生じること
②地層の形成は、ノアの洪水による一度の大規模な出来事として説明でき、平行地層の存在はその裏付けになり得ること
③地球の年齢の問題は、単なる数字の問題ではなく、聖書全体のメッセージに関わる重要なテーマであること
結び
いかがでしたでしょうか。
地球の年齢の問題は、創造論と進化論を考える上で避けて通れないテーマです。そして、ただ数字を比べるだけではなく、その背後にある神学的な意味まで考えると、とても奥の深いテーマであることがおわかりいただけたのではないかと思います。
次回は、「突然変異は進化の証拠になるのか?」という問いについて、ご一緒に考えてみたいと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

