【神様体験談 その②】クリスチャンになることを頑なに拒んでいた私の口から出た聖書の言葉

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はじめに

こんにちは。管理人のヒロです。

今回は、いつもの創造論シリーズとは少し違うお話をさせてください。

このブログでは、これまで「創造論」という切り口から聖書の神様を紹介してきました。

でも、考えてみると、私自身がどのようにしてイエス・キリストを救い主として信じるようになったのか、まだお話ししていませんでしたよね。

先日、AJCCオークランド日本人キリスト教会のイベントにお招きいただき、そのことについてお話しさせていただく機会がありました。

今回は、その時にお話しした内容を、ブログ記事としてみなさんにお届けしたいと思います。

当日の様子はYouTubeでもご覧いただけますので、よろしければ動画もぜひご覧ください。

YouTube動画はこちら

進化論を信じる無神論者だった私

私の実家は、クリスチャンホームではありません。

では、何を信じていたのかと問われれば、非常に答えに苦しむ、そんな家庭で育ちました。

年の初めには神社にお参りし、結婚式は教会で挙げ、葬儀は仏教式。

みなさんの中にも、似たような環境で育ったという方は、少なくないのではないでしょうか。

そんな家庭で育った私自身は、どの神も仏も信じない無神論者でした。

なぜかと言えば、学校で進化論を教わり、それを絶対的な事実として受け入れていたからです。

みなさんも、進化論については学校で習われたかと思います。

この世界は、何もないところにあった無限に小さな点がビッグバンという大爆発を起こして始まり、散らばる物質同士が重力によって引き寄せ合った結果、たくさんの星々ができた。

そのうちの1つ、私たちの住むこの地球では偶然に生命が誕生し、何十億年にも渡る偶然の積み重ねによって、バクテリアが人間にまで進化した。

私は、子どもの頃から、これを本気で信じていました。

そして、学生生活を終えた後は学校の教師となり、18年間の教員生活の中で、度々子どもたちに進化論を教えてきました。

進化論を疑いなく実証された科学だと信じていましたから、

「46億年前に地球は偶然誕生したんだよ。」

「恐竜は、6500万年前に絶滅したんだよ。」

堂々とそのように子どもたちに教えていたのです。

ですから、この世界を造った唯一無二の創造者がおられる可能性など、全く考えたこともありませんでした。

そんな私が、今どうして、万物を造られた創造者を信じ、その方がイエス・キリストであると告白するようになったのか。

今日は、その経緯をご紹介します。

2020年10月に襲った突然の病

ニュージーランドに来て6年目、オークランド補習校の教員として働いていた2020年10月のある日の出来事でした。

朝、当時8歳と4歳だった子どもたちを学校に送るため、私は子どもたちと3人で車に乗り込みました。

エンジンをかけて走り始めた直後、車の異変に気がつきます。

どこからか「カタカタカタカタ」という音が聞こえるのです。

「一体、何の音だろう」と思って、車を降りた瞬間、私の目に意外なものが飛び込んできました。

右前輪のタイヤに刺さった太い釘です。

見たこともないような釘の太さに唖然としていましたが、驚いてばかりはいられません。

子どもたちが学校に遅刻してはいけないと思い、すぐさま自宅に引き返してタイヤ交換を始めました。

パンクしたタイヤを外そうと力を込めたその瞬間、胸元から「ドクドクドク」という何かが流れ出るような音が聞こえました。

次の瞬間、腰に激痛が走り、私はその場に倒れ込みました。

あまりの痛みに声が出ず、自分では助けを呼ぶことすらできませんでした。

しかし、隣にタイヤ交換の様子見ていた娘がいました。

彼女は、すぐに「お父さんが死んじゃう!」と叫んで、妻を呼びに行ってくれました。

その後、あまりの痛みのせいか意識を失いました。

目を覚ましたのは、約1時間半後、救急車が到着した時でした。

妻は私が倒れてすぐに救急車を呼んでくれていたのですが、おそらく「タイヤ交換中に腰を痛めた」という情報から、ぎっくり腰か何かだと判断されたのでしょう。

救急隊の方にモルヒネを吸入させてもらい、ようやく痛みが治まりました。

急性大動脈解離

最寄りのワイタケレ病院に搬送されましたが、なかなか検査の順番が来ません。

1時間以上待つうちに、モルヒネが切れ始め、再び痛みが出てきたので痛み止めを飲むと、突然呼吸が荒くなりました。

妻が異変に気づいて看護師を呼び、両腕の血圧を測ったところ、左右で血圧が大きく違うことが分かりました。

右側だけが異常に低かったのです。

この時初めて、問題は筋肉の損傷ではなく、循環器系のトラブルだということが分かりました。

CTスキャンの結果、「急性大動脈解離」を起こしていることが判明しました。

大動脈解離とは、最も太い動脈である大動脈の血管の壁が裂け、急に激痛が襲うという、命に関わるとても危険な病気です。

そして、このブログをお読みになっている方はお気づきかもしれませんが、私の母もこの病気で亡くなっているのです。

この診断結果を聞いて、私は死を覚悟しました。

一刻も早い手術が必要とされ、オークランド病院に緊急搬送されました。

病院に到着すると、医師からこう告げられました。

「手術の後、体に機能障害が残る可能性があります。それでも手術を受けますか。」

私は迷わず「はい」と答え、書面にサインしました。

全身麻酔を打たれ、私は深い眠りに入りました。

手術中に広がっていた祈りの輪

一夜がかりの手術が終わり、集中治療室で目を覚ました私は、その後すぐに一般病棟に移ることができました。

何とか一命を取り留めたことに安堵していると、病室に来た妻から驚くべき話を聞かされたのです。

手術が決まった後のことです。

妻はある人たちに連絡を取り始めていました。

それは、友人のクリスチャンでした。

実は妻は、私が倒れる3週間前に、イエス・キリストを救い主として受け入れ洗礼を受けていました。

その洗礼式に参列してくれた多くのクリスチャンの方々に、私の状況を伝え、「回復のために祈ってほしい」とお願いしてくれていたというのです。

頼まれた方々が、さらに他のクリスチャンにも祈りのリクエストをしてくださり、祈りの輪は大きく広がっていったそうです。

この話を聞いた時から、「自分の身に何だかとても不思議なことが起こったのかもしれない。」と思い始めました。

私の口から出た聖書の言葉

さらに、妻からもう1つ驚くべき話を聞きました。

私自身は全く覚えていないのですが、手術室に入る直前に、私が聖書の言葉を口にしていたというのです。

「明日からどうなるのかな」と隣でつぶやいた妻に向かって、私はこう言ったそうです。

「『明日のことは明日が心配します。』って聖書に書いてあるじゃないか。」

これは、マタイの福音書6章34節の言葉です。

確かに、妻が洗礼を受けてからというもの、私は聖書にはどんなことが書かれているのか気になるようになり、寝る前に聖書を読むのが日課になっていました。

特にマタイの福音書6章は、なぜか何度も繰り返し読んでいたので、その一部を暗唱していたのは事実です。

しかし、当時クリスチャンになることを頑なに拒んでいた私の口から、命の危機に直面した瞬間に聖書の言葉が飛び出してきた

このことに、妻はとても驚いたと話していました。

私自身も、この話を聞いた時は非常に驚きました。

「あなたが治ったのは奇跡だ」

妻からこれらの話を聞いた後、担当の医師が私のもとにやってきました。

そして彼は、戸惑いの表情を浮かべながら、こう話したのです。

「あなたが治ったのは、医学的には説明がつかない。あなたが治ったのは奇跡だ。」

さらに、こう続けました。

「あなたのような場合、50%の患者は手術を受ける前に亡くなる。手術を受けられた残りの50%のうち半分、つまり25%の方も命が助からない。残りの25%も、命は助かっても体に何らかの障害が残る。しかし、あなたは命が助かった上に、何の障害も残らなかった。」

それを聞いた時、自分の中でバラバラになっていた点と点とが結びつきました。

妻が洗礼を受けていたこと、多くのクリスチャンたちが祈ってくれていたこと、そして私の口から出た聖書の言葉。

これらすべてが1つにつながりました。

「私の病気が治ったのは、祈りが聞かれたからだ。」

この思いが、私の心に強く響いてきたのです。

この出来事をきっかけに、「目に見えない神は、存在するのかもしれない」「私が宗教の経典だと思っている聖書は、ひょっとしたら神の言葉なのかもしれない」と思い始め、聖書を真剣に読み始めました。

進化論という壁

しかし、この大きな奇跡を体験しても、私はすぐにイエス・キリストを救い主として受け入れることができませんでした。

その最大の理由は、進化論でした。

進化論を学び、そして18年間に渡って教えてきた私にとって、聖書の「はじめに神が天と地を創造した」という言葉は、どうしても受け入れられなかったのです。

「神様はいるのかもしれない」とは思い始めていました。

しかし、「この世界を神が造った」という部分だけは、長年信じてきた進化論という壁に阻まれて、どうしても信じることができなかったのです。

そこで私は、進化論と創造論のどちらが本当なのか、数か月かけて徹底的に調べました。

その結果、分かったこと。

それは、創造論の方が圧倒的に科学的証拠が揃っており、進化論の証拠とされているものの多くが、実は誤りだったということでした。

この詳細については、このブログの創造論シリーズで詳しくお話ししていますので、ご興味のある方はぜひそちらもお読みいただけたら嬉しいです。

しかし、この結論は、教師として子どもたちに進化論を教えてきた過去を持つ私にとって、決して喜ばしいものではありませんでした。

なぜなら、それはつまり、私が約20年近くもの間、子どもたちにウソを教えてきたことになるからです。

進化論を教えることを通して、純真無垢な子どもたちに「あなたの命は偶然によって誕生したに過ぎない」というメッセージを送り続けてしまっていた。

何と大きな過ちを犯してきたのかと思えば思うほど、この結論は受け入れ難いものとなっていきました。

しかし、これが事実である以上、受け入れざるを得ないということも分かっていました。

神様から与えられた気づき

そんな葛藤が続く中、ある日、神様から1つの思いが与えられました。

私にできることは、過去の過ちを悔やみ続けることではなく、これから創造論をより多くの人たちに伝えることだ。

そう気づかされたのです。

この気づきが、私がイエス・キリストを救い主として受け入れる大きなきっかけとなりました。

そして今、こうしてブログを通じて創造論についてお話しさせていただいたり、いくつかの教会や自宅を開放して創造論の学習会を行ったりしています。

もしご興味のある方がいらっしゃれば、ぜひお気軽にお声掛けください。

結びに ~詩篇119編より~

最後に、私がとても大切にしている聖書の言葉を、みなさんと共有させてください。

詩篇119編67節~68節、71節~72節、75節の言葉です。

67 苦しみにあう前には、私は迷い出ていました。しかし今は、あなたのみことばを守ります。

68 あなたはいつくしみ深く、良くしてくださるお方です。どうか、あなたのおきてを私に教えてくださ  

  い。

71 苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。

72 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千もの金銀にまさります。

75 主よ、私は知っています。あなたのさばきが正しいことと、あなたが真実をもって私を苦しめられたこ

  とを。

私は、あの病気が神様の憐みだったと思っています。

迷い出てしまっていた私を、神様はあの出来事を通してご自身のもとへと導いてくださいました。

みなさんの中には、「目に見えない神なんて信じられない」と思っている方もいらっしゃるかもしれません。

かつての私も、まさにそうでした。

でも、もし少しでも「本当に神様はいるのだろうか」と心のどこかで思われたなら、ぜひ聖書を手に取ってみてください。

そして、このブログの創造論シリーズも、聖書の神様を知る1つのきっかけにしていただければ、これほど嬉しいことはありません。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして。管理人のヒロです。

日本で小学校教員、ニュージーランドで日本語補習校教員として勤めていましたが、現在は、妻と一緒に2児を育てる主夫をしています。

教員として働いていたころは、仕事中心の生活を送っていましたが、ある出来事が人生を一変させます。

2020年10月に、突然、オークランドで大病を発症。

生死の境を彷徨いましたが、奇跡的な回復を経験し、イエス・キリストを信頼するクリスチャンとなりました。

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