進化論VS創造論は、科学VS宗教なのか
こんにちは。管理人のヒロです。
前回から、世界の成り立ちという視点から神様の存在について考える「学校では教えてくれない創造論シリーズ」が始まりました。
前回予告した通り、2回目となる今回から1つ目のサブテーマである「進化論VS創造論は、科学VS宗教なのか」について、4回にわたってご一緒に考えてみたいと思います。
少し長めのシリーズとなりますが、どうか最後までお付き合いください。
よろしくお願いします。
結着は既に着いているのか~このテーマについて考えてみてほしい理由~
「クリエイターが世界を創ったなどというおとぎ話は、科学が未発達の時代に、盲目的に信じられていたものに過ぎない。進化論は、そんな古くて証拠もない創造論にとって代わろうと、科学者たちが実験や観察によって集めた客観的な証拠に立脚した科学である。今さら、どちらが正しいか検証するなど、まるで時計の針を100年巻き戻すようなものだ。進化論は科学、創造論は宗教なのだから、大きく進歩を遂げた21世紀の我々現代人が、こんな論争をするのは、全く時間の無駄ではないか。」
こうした世界観は、今や世間の常識となっています。
しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。
人間社会は、科学技術の目覚ましい発展により、物質的に豊かで大変便利な時代を迎えました。
この物質的な豊かさが、社会全体の大きな進歩を象徴しているかのような錯覚に陥りがちですが、そんな思いと裏腹に、世界中にはとても深刻な問題が山積していますよね。
この先明るい未来が待っているとは到底信じがたい、そんな時代ではないでしょうか。
止むことのない戦争、一層進み続ける自然破壊、凶悪犯罪の増加、家族関係の崩壊、自殺率の増加。
どれ1つとっても、解決の糸口すら見つからない悲惨な現状は、一見進歩してきたかに思える私たち人類が、実は何か大きな誤りを犯してきたのだということを、はっきりと指し示していると思います。
あなたが、ある目的地に向かって歩いていながら、いくら先に進んでもたどり着けなくなると「きっとどこかで道を間違ったんだろう。」と気がつく時が来るように、今こそ自分たちの犯してきた間違いに気づくべき時なのかもしれません。
間違った道を突き進み続けても、目的地に到達できないどころか、むしろ遠く離れていってしまうだけです。
道に迷った時、目的地にいち早く辿り着くためには、一旦来た道を戻るのが得策であるように、過去に遡り、その誤りとは、一体何であったのかを探ることは、重く苦しい現状に、一筋の光を見出すための方法だと思います。
ですから、一旦時計の針を巻き戻し、ご自身で進化論VS創造論は、本当に、科学VS宗教なのか、じっくりと検証してみていただきたい。
それが、私が、みなさんにこのテーマについて考えることをお勧めしたい理由です。
では、今回のPart.1、そして次回のPart.2では、まず「進化論は、科学なのか」という点に絞ってご一緒に考えてみたいと思います。
進化論は科学なのか(前編)
この場合の科学というのは、「自然科学」、つまり対象が自然界であるもの、教科で言えば理科のことです。
結論から言いますと、進化論は科学です。
しかし、一般にイメージする科学とは、ずいぶんとかけ離れたものであるという点が非常に重要だと考えています。
そのことをご説明するために、まずは、世間一般でどんなものが科学と呼ばれているのか、また進化論がその中でいかに特異な存在に当たるのかをご一緒に見ていきたいと思います。
学校では教えてくれない2つの科学とその違い
科学は、内容によって4つに分けられます。
物理・化学・生物・地学の4つです。
上が内容による分け方です。
しかし、視点を変えると、下の図のように2つに分けられます。
その視点とは、方法です。つまり、「どのようにして、仮説が本当かを確かめるのか」という方法の違いで分類した場合には、「実験科学」というものと「歴史科学」というものに分けることができます。
今日は、進化論について正しく理解するための鍵となる後者の分け方についての話をしていきます。
まずは、実験科学とは何かからご一緒に考えてみましょう。
実験科学とは何か?
みなさんは、理科は、お好きですか?
理科の授業といえば、なんといっても実験や観察ですよね。
私は、子供の頃は、ほとんど実験をやらせてもらえず、あまり理科が好きではありませんでしたが、教師になって実験をすると「理科ってこんなに楽しいんだ!」と、その楽しさに目覚めて理科が大好きになりました。
みなさんも、液体同士を混ぜ合わせて化学反応を起こしたり、電池のつなぎ方を変えて電流や電圧を測ったり、葉の表面を顕微鏡で観察したりしたことがあると思います。
さて、ここで、みなさんに質問です。
みなさんが、仮に学校の先生だとします。
理科の授業中、生徒に実験をさせていると、1つのグループが所要時間の半分で実験を終えてしまい「先生、残りの時間は何をしていたらいいですか?」と聞きに来ました。
あなたは、どんな指示を出しますか?
「先に実験道具の片づけを始めていなさい。」でしょうか。
それとも、「今日のところの教科書を読んでいなさい。」でしょうか。
はたまた、「他のグループを手伝ってあげなさい。」でしょうか。
いろんな指示が出せるかと思います。
以前、私が日本の小学校で働いていた時、理科を教えるのがとっても上手な先生に、こうした場合、どのような指示を出すと良いのか聞いたところ、思いがけない答えが返ってきました。
それは、「もう一度初めから実験をやってみなさい。」と指示するのが大切だというもの。
私は「もう結果が出ているのに、なぜわざわざもう一度同じ実験をやらせるのか。時間の無駄じゃないか。」と思いました。
みなさんは、一度行った実験を再び行うことに、どんな意味があると思われますか?
再実験の目的と重要性
実は、再実験には、とても重要な目的があります。
それは、実験結果が、紛れもなく事実であることを、その目で確かめさせることです。
いくら実験で証明されたとは言っても、たった一度の実験だけでは、その結果を事実だと結論付けることはできません。
実験の最中に、計測数値の見間違い、作業の手違い、実験器具の誤った使い方などといったミスが、絶対に無かったとは言い切れませんよね。
また、実験前に結果を予測する際「必ず結果はこうなるはずだ」という強い期待や思い込みがあると、それとは違う結果が出た場合、なかなか事実と真正面から向き合うことができず、自分が期待した通りの方向へと無意識に事実を捻じ曲げてしまうことも多くあります。
こうした人間のミスや思い込みが、実験結果に入り込んでしまわないために、なるべく多くの再実験を行わせる、これが実験科学なんだとその先生は教えてくれました。
つまり、実験科学では、再実験・再観察を徹底して何度も何度も繰り返す中で、いつも、どこでも、だれがやっても同じ結果が出るのかどうかを確かめることにより、それが本当かどうかを確かめていくという方法がとられます。
「科学」とは、実験科学のこと
今の時代、「科学」と呼ばれるものが、人々にとてつもなく信頼される理由は、この実験科学の功績に他なりません。
度重なる再実験や再観察によって、いつでも、どこでも、だれがやっても同じ結果が出ることが、十二分に確かめられた紛れもない事実なのだから、信頼できるのは当然のことです。
そして、この実験科学の発展により生み出されたのが、私たちが普段とてもお世話になっているスマートフォン、パソコン、様々な乗り物、インターネットといった数々のテクノロジーです。
これらの発明により、人々の生活は、劇的に便利で豊かなものとなり、今や科学が万能とされる時代です。
つまり、一般的によく「科学」と呼ばれるているものは、厳密には実験科学のことなのです。
今日のまとめ
①自然科学は、方法によって実験科学と歴史科学の2つに分類されること
②実験科学の再実験・再観察という方法が、その高い信頼性の根拠であり、その結果として、私たちの生活を便利にしてくれていること
③私たちは、この実験科学を、単に「科学」と呼んでいること
次回予告~進化論は、実験科学なのか~
では、進化論は、この実験科学なのでしょうか。
もし、進化論が、これまで述べてきたような実験科学の方法によって既に証明されているのであれば、進化論で言われている地球の年齢が46億年であることや人間がバクテリアから偶然に進化してきたことが事実であることは、もはや疑う余地もありません。
果たして、どうなのでしょう。
次回、このことについてご一緒に考えてみたいと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
