みなさんは、こちらの本を読んだことがありますか?
私は、最近友人からの勧めでこの本を読み、難病を患いながら前向きに生き続けた著者の考え方を知り、深く感動しました。
この本の著者、海老原 宏美さん(享年44歳)は、脊髄性筋萎縮症(SMA)という体の筋肉がだんだんと衰えていく病気を患っていました。
幼いころに発症し、徐々に歩行や呼吸ができなくなり、ほぼ一生涯、車いすや人工呼吸器を必要とする生活を送っていました。
そんな海老原さんの半生を綴ったこの本。
読む前は、厳しい困難に耐え続けた「我慢に我慢を重ねた人生」を想像していたのですが、実際は全く違いました。
彼女は、小学生の頃から、健常者の友達と同じように授業を受け、行事や委員会にも積極的に参加し、学生時代のありとあらゆる青春を謳歌しました。
成人してからも施設や病院には入らずに一人暮らしをすることを選択。
食べたい時に食べたいものを食べ、出かけたい時に出かける。
そんないきいきと日々の生活を楽しむ様子が描かれています。
彼女は重度の障害がありながら、いつも健常者と同じように生きる道を選び続けていったのです。
「障害者に、健常者と同じ生活を送ることは不可能」
こういった認識が広がる社会で、彼女にこうした生き方を選ばせたものは何だったのか。
自身の生き方を通して、彼女が人々に伝えたかったこととはー。
可愛いイラストと分かりやすい文体で綴られた、活字が苦手な人でも、気張らずに読める素晴らしい作品です。
今日は、この本を読んでの私の感想を、大きく2つのポイントでお伝えします。
1つめは、この本を読んで考えた「幸せとは何か」について。
2つめは、クリスチャンとしての視点から、海老原さんの生き方が、聖書が勧める生き方とどう重なるのかについて考察していきます。
どうぞ最後までお付き合いください。よろしくお願いします。
幸せとは何か
障害は不幸じゃない。
海老原さんは、障害は、不幸でも、問題でも、乗り越えるべき困難でもないとおっしゃっています。
一体どういうことでしょうか。
1つあなたに考えてみていただきたいことがあります。
もし、あなたが、海老原さんと同じSMAを患っているとしたら、彼女のように健常者と同じよう生きる道を選択することができると思いますか。
私は、とても勇気がいることだと思います。
車いすと人工呼吸器を使いながら、街を歩いている人を見たことがありません。
いざ困ったときに助けを求めても、見ず知らずの道行く人にどういう反応をされるかも分かりません。
そんな風に、つい周りの目を気にしてしまうのは、社会全体に「障害者は健常者と区別されて当然だ」という空気感が広がっており、何となく堂々と社会に出ていきにくい感じがするからだと思います。
学校や会社といった社会生活の場が分けられ、世間との繋がりが希薄になりやすい環境を強いられていても、「それは当然のこととして受け入れなくてはならない」と感じてしまいそうな気がします。
そんな風に障害者の方々の選べる生き方は狭まっていき、「自由に生きること」が難しくなっているので、障害が不幸となっているというのが現状だと思います。
言い換えれば、障害自体が不幸の原因なのではなく、社会全体に「障害者」と「健常者」の区別を当然とする空気が蔓延していることが障害を不幸にするのだと海老原さんは言うのです。
「わたしに障害があるのは、あなたのせいです。」
海老原さんは、こうした風潮に流されず、フラットな姿勢で読者にこう問いかけます。
「わたしに障害があるのは、あなたのせいです。そう言ったら、おどろきますか?」
私は驚きました。
「自分は何もしていないのではないか。」と。
しかし、本を読み進めていくうちに、実はその何もしていないことが問題なのだと分かりました。
そもそも「障害」とは、何でしょう。
今は、何かしらの重い病を患う人を、「障害者」と呼ぶのが当たり前となっていますが、「障害」と「健常」という区別は、男女の区別のようにはじめから存在するものではありませんでした。
歴史の中で重い病を抱える人に対して、抱えていない人々の方が線を引き、「障害者」というくくりを設けて区別してきました。
つまり、「障害」というものは、「人は『障害者』と『健常者』とに区別できる」という人間が作り出した世界観であり、実体のない1つの概念に過ぎません。
つまり、社会がこの区別を良しとしないとした途端、「障害」はなくなります。
目が見えなくても、耳が聞こえなくても、手足が不自由でも、もはや「障害者」とは呼ばれず、ただ「周囲の助けを必要とする人」となるのです。
この違いは、大きいと思います。
なぜなら、私たちも程度の差こそあれ、「周囲の助けを必要とする人」だからです。
人は、障害の有無に関係なく、誰しも不完全であり、生きるために周囲の助けなしには生きていくことができない
この事実を否定できる人はいないと思います。
今は若い人でも、いずれは老人となり、どんなに健康な人も、いつかは必ず病気やケガを患います。
そんな弱い存在である私たち人間に、本来健常者も障害者もないと思います。
しかし、現代社会は、「障害者」「健常者」の区別を良しとする世界観に基づいて、学校や会社などの社会生活を営む場が当然のように分けられています。
海老原さんのこの言葉は、そうした社会を当たり前に感じている健常者への大切な問題提起だと、私は受け止めました。
そして、この区別は、障害者にとってだけの問題ではなく、健常者も含めた社会全体をも「本当の幸せ」から遠ざけてしまっていると、海老原さんは訴えます。
助け合える社会=幸せな社会
先ほども述べたように、人間は周囲の助けなしでは、生きていくことができない存在です。
海老原さんは、そのことを前提とし、誰にとっても幸せな社会は、「より多くの助け合いがなされる社会」だと言います。
そして、実際に助け合うためには、同じ時間や空間を共にする中で生まれる人間関係がなくてはなりません。
この人間関係を築くことを妨げる、つまり時間や空間を共にできないようにしているものの1つが、「障害者」と「健常者」という区別です。
ですから、まずは、この区別を良しとせず「全ての人が共に生きる」という世界観をもつことが、誰にとっても幸せな社会の実現のために必要だと海老原さんは指摘します。
関係性に生きた海老原さんの幸せな人生
助け合える社会がいかに幸せな社会なのかを、言葉だけでなく実践で示したところに海老原さんの活動の素晴らしさがあります。
障害を通じて知り合った多くの人と関係をもった海老原さんの生き方は、幸せそのものだったろうと思います。
小学校で、いつも目立ちたがりの男の子たちが車いすを押してくれた話。
理科の授業中、水を張ったたらいの中に落ちた海老原さんを先生が助けてくれた話。
初めて一人で電車に乗ろうと手伝いを求めた駅員さんと今まで合わなかった目が合った瞬間、大きな感動を覚えた話。
積極的に社会に出かけ、たくさんの人たちと良い関係を築き、出会った人々に助け合いながら生きることの喜びを伝え続けた海老原さん。
彼女は、多くの人に「幸せな生き方とは何か」身をもって示してくれたのだと思います。
欲を満たすのか、関係性に生きるのか
私は、海老原さんの著作を通じて彼女の生き方に触れ、互いに関わり合う生き方こそ、人間が幸せに生きる道だと改めて思いました。
しかし、残念ながら人は幸せを別のものに求めてしまいがちです。
それは、欲です。
人間は、お金持ちになり、地位や名誉を得て、異性からもてはやされて、欲が満たされることによって幸せになれると思ってしまいます。
利潤追求を第一とする資本主義社会が、これらの欲を満たすためのシステムとして暴走を始めると、人は成果主義・能力主義に陥ります。
すると、生産性が低い「社会的弱者」を区別することは、公益の為だと考えるようになり、効率重視の観点から学校も職場も分けるのが良いとされていくので、人間関係を築くことが難しくなり、本当の幸せからは離れていってしまうのです。
つまり、欲を満たすことを追い求めるか、他者との関係性に生きるかは二者択一と言えます。
果たして、関係性を築くことよりも、欲求を満たすことを優先すれば人は幸せになれるのでしょうか。
答えは、Noだと思います。
たとえ一時的に欲を満たせたとしても、人の心には、さらに大きな欲が生まれ、「仮想の幸せ」をさらに追い求め続けることになるからです。
一生懸命働いて稼いだお金で、ずっと欲しかった車を手に入れても、しばらくするとその時の喜びは失われ、また別の車が欲しくなってしまう。
別の車を買うために、また一生懸命働く。
その繰り返しに終わりはありません。
マラソンで、本来のコースを外れて、間違えた道をいくら走り続けてもゴールにはたどり着けませんよね。
ですから、私たちは、今自分は本当の幸せへと向かっているのか、考えてみる必要があると思います。
幸せとは何か、思いめぐらすことは大切なことだと、この本を読んで改めて思いました。
関係性の秘訣、それは「弱さ」
幸せの秘訣である周りとの関係性を生むために、必要なことはなんでしょう。
それについても、この本は教えてくれています。
それは、「弱さ」です。
海老原さんは、自分でできないことを誰かに助けてもらうことをきっかけに、周囲との関係を築いていきました。
また、自分自身の弱さを知っているから、他の人の困ったことや悩みに共感し、親切にし、その人と仲良くなっていきました。
彼女だけではく、私たち全ての人にとって、周囲との関係をもつきっかけを与え深めてくれるのが、私たちのもつ弱さだと思います。
しかし、私たちは、この弱さを恥ととらえ、人には隠そうとしてしまいがちではないでしょうか。
弱肉強食・適者生存の社会では、強さばかり求められ、弱さはネガティブなものとされるからだと思います。
しかし、これもまた、欲求を満たすことで幸せになれるという間違った世界観がもたらす考え方で、高い資質や能力によって、どれだけ成功し、ありとあらゆるものを手に入れたとしても、幸せを感じられず、むしろ「何でもできる」という傲慢から孤独になってしまい、幸せのへの道から外れていってしまいます。
ありのままで良い。
人は、弱さがあるから幸せに生きられるんだということを、この本を読んで改めて教えられました。
クリスチャン的視点からの考察
以上述べてきたように、海老原さんの価値観は、この世が提示する価値観と真逆と言ってもいいかもしれません。
しかし、聖書の価値観、聖書の教える人間観と比べてみると、大変よく似ていることに気が付きました。
どんなところが似ているのか、大きく3つのポイントでお伝えします。
似ているポイント① 幸せの秘訣は、欲を満たすことではなく関係性の構築
聖書には、こんな言葉があります。
「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」(箴言17章1節)
どれだけ豪華なご馳走が食卓に並んでいても、争いながら食べたのでは、全く美味しく感じません。
しかし、おかずなんかなくても、みんなで「おいしいね」と言って分け合って食べる、たった一切れの乾いたパンは、美味しく感じるのではないでしょうか。
つまり、神の言葉である聖書も、人の心は、関係性によって満たされることを教えています。
また、イエス・キリストご自身も、このように教えました。
「『あなたは、心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、あなたの神、主を愛しなさい』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。」(マタイの福音書22章37~39節」
愛する、これは相手を価値ある存在と認め、意志をもって大切にするという意味です。
イエス様は、私たちを縛るありとあらゆるルールから解放する代わりに、このことを守りなさいと教えました。
それは、イエス様が、神と人とを大切にすることによってのみ、人は幸せに生きられることをよくご存知だったからでしょう。
イエス様は、この世界の創造主であり、私たちを造った方です。
TOYOTAのエンジニアが、車を最も良い状態に保つメンテナンス方法を熟知しているように、私たちをお造りなった方は、私たちが最も幸せに生きる道をご存知なのですね。
「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは。(詩篇 133篇 1節)
似ているポイント② 全ての人は大切な存在
「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ人への手紙2章6節)
私は、この「神の作品」という言葉が大好きです。
神様は、私たちを、複製して作る製品(products)ではなく、一人一人目的をもって、思いのこもった個性的な作品(masterpiece)として造られました。
つまり、一人一人が神にとって大切な存在です。
この神の目線で、私たちは、お互いを見続けたいと思うのです。
神は、全ての人を愛されているのだから、一人一人が大切にされる社会であって欲しいと私は願っています。
ですから、私はクリスチャンとしても、全ての人が助け合える社会を理想とする海老原さんの考えに強く共感し心から賛同します。
似ているポイント③ 弱さが生む「良い行い」
先ほどの言葉の中に出てきた「良い行い」とは、みなさんは何のことだと思いますか。
聖書の中に、それが明確に何であるかは書かれていません。
「良い行い」と聞いて、私が真っ先に思い浮かぶのは、人を助けることです。
人を助けることは、いつの時代、どの社会においても良いこととされてきました。
人を助けるためには、助ける相手、つまり「弱い状態にあって、助けを必要としている誰か」が絶対に必要です。
つまり、人間に弱さがあるおかげで、私たちは「良い行い」をすることができ、また助け合いを通じて、人間同士が親密な関係を築くことができます。
だから、あえて神様は弱さをもつ存在として人間を造られたのではないかと、海老原さんの本を読んで思いました。
神様は、私たちの幸せを願って、資質や才能といったものだけでなく弱さも与えてくださったと思うと、やはりありのままの自分で生きていって良いと思えるのではないでしょうか。
今回のまとめ
いかがでしたでしょうか。
彼女自身が、障害と共に生きる自分の人生をどのようにとらえていたか、また、実際どんな人との出会いが彼女の人生に影響を与えたのか、詳しく知りたい方はぜひ本編をお読みください。
幸せについて改めて考えさせられる素晴らしい本として、一度読まれることをぜひおすすめします。
また、この天地万物を造られた神様との関係を回復させたいと思われた方は、ぜひ聖書も合わせて読んでみてください。
神様は、聖書というラブレターをあなたに宛てて書かれ、それをあなたが読み、あなたとの関係が回復することを心から望んでおられます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信頼する者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 3章16節)
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
