【検証!進化論VS創造論は、科学VS宗教なのか】Part.2 進化論は科学なのか(後編)

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最重要ポイント!進化論は、実験科学なのか

こんにちは。

管理人のヒロです。

世界の成り立ちという視点から神様の存在について考える「学校では教えてくれない創造論シリーズ」。

3回目となる今日は、「進化論VS創造論は、科学VS宗教なのか(2)」(全4回)と題して、「進化論は、科学なのか(後編)」というテーマについてご一緒に考えていきたいと思います。

まず、前回の内容を振り返ります。

前回「進化論は科学なのか(前編)」のまとめ

前回のポイントは、以下の3つでした。

①自然科学は、方法によって実験科学と歴史科学の2つに分類されること

②実験科学の再実験・再観察という方法が、その高い信頼性の根拠であり、その結果として、私たちの生活を便利にしてくれていること

私たちは、この実験科学を、単に「科学」と呼んでいること

今回の後編では、「進化論は、この実験科学なのか」というのがテーマです。

これは、このシリーズの中の最重要テーマです。

もし、進化論が実験科学なら、進化論VS創造論の論争は進化論に軍配が上がることになります。

研究者たちが、日夜実験、観察を繰り返して進化論が出来上がったとすれば、創造論者が「偶然によって世界ができたなど、神への冒涜だ!」と声高に叫んだとしても、事実に従うべきですから、その声に耳を貸す必要などありません。

「世界は偶然により誕生した。」と、断言することができます。

では、進化論が実験科学に含まれるのでしょうか。

早速、このテーマについてご一緒に考えて参りましょう。

進化論は、科学なのか(後編)

進化論は、歴史科学

結論から申し上げると、進化論は、実験科学ではありません。

なぜなら、再実験、再観察どころか、ただの1度も実験や観察によって証明されていないからです。

正確には、「されていない」というより「できない」のです。

「世界がビッグバンによって誕生した」「命は偶然に自然発生した」「バクテリアから人間にまで進化した」といった進化論の仮説は、ある理由により、実験や観察によって証明することができません。

なぜできないのかをご一緒に考えてみましょう。

過去の出来事は、実験、観察が不可能

実験や観察は、できるものとできないものがあります。

みなさんが、これまで学校などで行ってきた実験や観察の様子を思い浮かべてみてください。

「あ!電池の数を増やしたら豆電球が明るく光った!」

「虫眼鏡で太陽の光を集めたら、黒い紙に穴が開けられた!」

「顕微鏡でミジンコが見えたよ!」

内容は、それぞれ違いますが、どの実験や観察にも通じる1つの共通点があります。

時間に注目してください。

全てに共通するのは、今起こっていることを実験や観察によって確かめているということ。

言い換えれば、現在起こっている出来事は、実験や観察が可能だということです。

では、過去や未来のことも実験や観察をすることができるでしょうか。

「昔は、〇〇であっただろう。」「未来は、××になるだろう。」と予想をすることはできます。

しかし、その予想を、実験や観察で、どうだったのか、どうなるのか確かめようとなると、その時にいない限り無理ですよね。

つまり、実験や観察の対象となるのは、過去・現在・未来の出来事のうち、現在の出来事のみです。

勘の良い方は、もう既に進化論が実験科学になり得ない理由が、お分かりいただけたかと思います。

進化論では、調べる対象が、常に過去の出来事なのです

いくら願ったところで、「世界がビッグバンによって誕生したのか」「命は偶然に自然発生したのか」「バクテリアから、人間にまで進化したのか」といったことを実験や観察によって知ることはできないのです。

 このように、調べる対象が過去であるが故に、実験や観察によって検証することができない科学のことを、実験科学と区別して歴史科学と呼びます。

歴史科学は、客観性に劣る

 では、実験や観察による証明ができない歴史科学と実験科学の違いについて詳しく見ていきましょう。

実験科学が、信頼に足るものとされる根拠は、何でしたか。

それは、何度も再実験や再観察を行う中で、いつでも、どこでも、だれがやっても同じ結果が出ることが証明されているからに他なりません。

こうした過程を経ることで、研究者がもつ「きっと結果はこうなるだろう。」という思い込みや憶測、「きっとこうなるはずだ。」という信念、「こうであってほしい。」という願望といった人間のもつ考えは取り除かれていきます。

この厳しい審査を通過し、最終的に事実として残ったものだけが、「客観的事実」として認められ研究結果として発表されます。

だから、実験科学は信頼できます。

一方、過去を調査対象とする歴史科学では、実験も観察もできないわけですから、このプロセスを踏むことができません。

それでも研究を進めるには、研究者の憶測、信念、願望に見合った証拠を探し求めていくという方法をとらざるを得ないのです。

みなさんは、世間一般で「科学」と呼ばれるものに対して、次のような印象をおもちなのではないでしょうか。

「科学は、科学者達が、自分の主観は脇に置き、ひたすらに客観的事実を追求した結果である。」と。

それは、実験科学においてはその通りです。

しかし、歴史科学では、事実追求のために必要な実験や観察を行うことができないので、どうしても研究者個人のもつ主観が、研究の土台となってしまいます。  

まとめると、実験科学と歴史科学は、同じように「科学」と呼ばれながら、実は全くの別物で、歴史科学は、実験科学に比べて遥かに客観性に乏しい主観的な科学であり、歴史科学で言われていることは、事実だけではなく人の憶測、願望が入り込んでいるということです。

歴史科学と実験科学を混同してはいけない!

みなさんは、この実験科学と歴史科学の違いについて、学校ではっきりと教えられてきましたか?

内容は違えど、どちらも同じぐらい確かな証拠をもつ科学だという印象をもっていませんでしたか?

もっていて当然です。

教える先生の側も、それをあまり意識することなく教えていることが多いからです。

少なくとも、私はそうでした。

進化論のところだけを「これは仮説だから、今のところ正しいとされているけど、将来間違っていたなんてこともあり得るよ。」とは教えませんでした。

むしろ、「地球は45億年前に出来たんだよ。」とか「恐竜は、6500万年前に絶滅したんだよ。」などと、客観的な事実であるかのように言い切ってしまっていました。

今は、そのことをとても反省しています。

また、インターネットやテレビや新聞でも、歴史科学を実験科学と同等なものとして扱い、ビッグバンや地球の年齢や生物進化について、「科学」として紹介しています。

このような発信が、日々当たり前のようになされている現代社会で、進化論は真実であり、疑いようのないものなのだという認識が広がっていくのも、無理はないことかもしれません。

しかし、現実には「科学」の中に、実験科学と歴史科学という全く信頼性の異なる、2つの科学が混在しているわけですから、これらを明確に分類し、違いを正しく認識しておく必要があるのではないでしょうか。

この事実を知ってもなお、「科学者や教科書やインフルエンサーが言っているのだから」と信じ続けてしまうのであれば、それこそ宗教と変わりないものとなってしまいます。

私には、進化論が今そうした状態にあるように思えてならないのです。

今日のまとめ

①進化論は、実験科学ではなく、過去を調査対象とする歴史科学であるということ

②歴史科学は、実験科学と比べて客観性に劣る科学であるということ

③実験科学と歴史科学を混同せず、その信頼性の違いを認識する必要があるということ

次回予告~歴史科学・進化論の問題点を掘り下げる

いかがでしたでしょうか。ここまでを読み、進化論が実験科学ではないことを納得していただけたでしょうか。

科学万能時代を生きる私たちは、「科学的~」という枕言葉を「絶対的事実のお墨付きである」と受け取りがちです。

しかし、実際、「科学」には、実験科学と歴史科学という2つの科学が存在し、そこには客観性における優劣が存在することをお伝えしてきました。

次回、その点をより鮮明に理解していただくために、具体的に教科書の記述を取りあげながら、歴史科学・進化論の問題点を掘り下げていきたいと思います。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして。管理人のヒロです。

日本で小学校教員、ニュージーランドで日本語補習校教員として勤めていましたが、現在は、妻と一緒に2児を育てる主夫をしています。

教員として働いていたころは、仕事中心の生活を送っていましたが、ある出来事が人生を一変させます。

2020年10月に、突然、オークランドで大病を発症。

生死の境を彷徨いましたが、奇跡的な回復を経験し、イエス・キリストを信頼するクリスチャンとなりました。

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